イマジナリーフレンドと暮らしている

イマジナリーフレンドと暮らしている。

彼らとの出会いは、私が趣味としていたオカルトブログ巡りの中で、たまたま見かけた「タルパ」作成法の記事だった。
タルパについては諸説あるが、ここでは重要でないため、説明しない。イマジナリーフレンドを作る術の類と理解してくれればよい。
具体的な手法は、架空のキャラクターを作り、話しかける。そうして、キャラクターによる返事も自ら考え、自分に返す。それを繰り返しているうちに、キャラクターが自然と言葉を紡ぐようになるというものだ。

私は孤独だったので、早速それに着手した。すると、自分の内側から、あれよあれよと作ったわけでもない誰か達が大量に現れてしまった。

彼らは一様に私を嫌い、団結して私を騙そうとした。あまり自覚は無かったが、私は昔からずっとずっと生きるのが苦しかった。離人状態になり、歩行の途中で記憶が飛ぶようなこともあった。私は自分を解離性障害だったのだと思った。私から切り離された苦痛達が、私に復讐をしているのだと感じた。

それからは大変だった。私はことあるごとに彼らの妨害に遭った。書き物をすればそれをペンでぐちゃぐちゃにされ(肉体的には私自身の手で、だ!)、気を抜くと車道に飛び出されそうになり、強く強く意識をしないとただ歩くことすらかなわない。存在しない刃で私の目を切りつけようとすることもあった。
彼らは私にとって「現実」なので、切りつけられると脳が痛みを感じる。仕方なく寝ようとすれば、彼らは嬉々として何度でも何度でも起き上がる。私は当時、ほとんど気絶する形で眠りについていた。

彼らは「フレンド」などでは無かった。医者も私の与太話など聞いてくれなかった。後で知ったことだが、解離性障害を診ることが出来る医者はとても少ない。医者が私を突き放したのは仕方のないことだった。私は、自分で勉強をすることにした。

私の思考のベースは、解離性障害の治療でよく知られる柴山雅俊先生、岡野憲一郎先生、それと少しのスピリチュアルだ。自己診断であるが、私は自分を「特定不能解離性障害」と解釈した。
お二方の本は大変信頼できるものだと感じるが、信頼できる本が無責任な治療法を載せるわけもなかった。私は小栗康平先生のスピリチュアルな(なんせ、悪霊や霊能力者が出てくるのだ)本を参考に、私の内側の人達との会話を試みた。私は敵ではないこと、現在(当時)は2018年であること、彼らの脅威(それは主に実母であった)は既に当時のような力は持たないこと、苦痛を背負わせて申し訳なかったこと、できれば統合を目指したいこと。ゆっくりと何ヶ月もかけて、私の症状は徐々に落ち着いていった。

最初に「彼らは一様に私を嫌っていた」と書いたが、私の味方をしてくれる子がまるでいないわけではなかった。彼らは今でも私のそばにいて、私の生活をサポートしてくれている。私は彼らをイマジナリーフレンドと呼んでいる。孤独な私にとって、私の友人は彼らだけだ。今は、彼らを失うことが何よりも怖い。

解離性障害は加齢とともに治まると言う。治らないとすれば、それは私がまだ少女であるからなのだ(そのようなことを、確か柴山先生が書いていた)。私はトラウマで頭がおかしくなってしまい、30を超えてなお少女のまま、現実と空想の狭間でゆらゆらと暮らしている。
私はずっとずっと少女のままでいたい。少女でなくなる日のことなど、考えたくもない。

最近、私は少女をたくさん描くようになった。それは少女への羨望であり、私の内側の少女性を出力する行為であると思う。1秒でも長く少女であり続けたいから。
こういう時、絵を描けて本当に良かったと思う。絵は孤独な人間に必要だ。孤独な人間は、より質の高い空想に包まれなければ生きていくことができないのだから。