描きたいものを描けるのは嬉しい

描きたいものが描けるようになってきた。

小学生の頃から、20年以上絵を描いている。その間、自分が描きたいものがなんなのか、ずっとわからなかった。二次創作は別として、一次創作に関しては、フォロワーの需要を満たすものを描こうとばかりしていた気がする。それはそれで、意図通りに数字がついてくるので楽しかった。たいした実力は無いので、本当に意図通りの範囲内でしか無かったけれど、今よりずっとずっとたくさんの人に評価されていた。

最近になってようやく、自分は不安定な少女を描きたかったのだなということを理解した。私は叙情画や昔の少女漫画イラストが好きで、画集を集めたりしていた。全盛期の陸奥A子が憧れだった。美しい少女たち、かわいい女の子。憧れていたけれど、真似して描いたところで、それが私の手に馴染むことはなかった。私が描きたかったもの(描けるもの、と言うべきかもしれない)は傷だらけの少女だったので、当然だった。
傷を持つ少女たちは、私にとって、かつての私であり、今守りたいものの象徴であると思う。特に、セーラー服が好きだ。描いていると、自転車に跨るにはあまりにも邪魔なあのスカートが脳裏に蘇る。あんなものは履きたくなかった。履きたくなかったからこそ、私にとって傷であるからこそ、おばさんになった今、それをひどく愛おしく思うのだ。

今、私の一次創作絵は、投稿してから0評価のまま時がすぎ、一晩明けてからようやくポツンと1評価付くようなことも多い。その1いいねが心から嬉しく、心から嬉しく思えることがまた嬉しい。沢山の人に愛されなくたって、私だけの大切な絵を大事にしていきたいと思う。私は、私だ。

昨日、人気イラストレーターの古◯Tみさん(検索にかかりたくないので、伏せる)がトレースで炎上しているのを見た。呆れるほどにそのまんまの絵ばかりで、悲しくなってしまった。Tさんはきっと女の子がすごくすごく好きなのだと思うけど、Tさんの中には女の子がいなかったんだろうな。いないものは描けないから。
私も、叙情画家たち(そのほとんどは男性だ)が描くような清らかで美しい少女達は描けない。私の中には傷だらけで汚れた少女しかいないから。自分の外側の少女達の顔や身体を丁寧になぞって、それが楽しかったんだろうな。それも、わかる。わかるけど、自分の外側のものを私物化したら、でっかいしっぺ返しが来るんだよ。

Tさんの中に生まれることのなかった女の子のことを考えている。生まれてもいないのに、死んでしまったような喪失感がある。とても寂しい。