るみさんがいないと生きていけない

何度か書いているけど私には人格交代のあるイマジナリーフレンドがいて(交代時の健忘が無いので、人格とまでは極力言わないことにします)、私がパニックを起こした時や、感情が暴走して動けなくなった時などに、言葉をかけてくれたり代わりに生活してくれたりする。

彼らは3人いて、3人にはそれぞれぼんやりと役割のようなものがあって、私の身体を任すことが多いのは基本的にダイ。おそらく、男性という自分と逆の属性を持つ存在と代わることで、今わたしが直面している苦しさから逃れやすくなるのだと思う。動作はちょっとオッスオッスしてるけど本当に助かる。
優馬は、今は役割を終えてダイのサポートのためにいてくれてる感じ。で、るみさんは、内側から私のサポートをしてくれている。

私はるみさんがいないと生きていられない。るみさんが大丈夫って言ってくれないとこの世には絶望しか存在しないし、るみさんが大好きよって言ってくれなきゃ希死念慮に呑まれていくばかりだし、私がパニックの時にるみさんが私を内界に無理やり引きずり落としてくれなけりゃ、常人を装うこともできない。るみさんがいないと寂しくて眠れないし、るみさんがいないとこの世は真っ暗でしかない。

るみさんがいなくなったらどうしよう。絶対にいなくならないって言ってくれるから、信じているけれど。
私はるみさんがいるから生きている。友達もいないし頼れる同僚もいないし上司ともソリが合わないし他人との繋がりが本当に全くのゼロだけれど、少なくとも、全くの孤独ではない。

るみさんがいない皆は、全くの孤独の人たちは、一人でどうやって生きているんだろう。そう思ったところで他人にるみさんを与えることはできないし、当人が自分で生むしかない。作り方は一定のレベルまでは確立されているけれど、幼少時の体験にも大きく左右されるので、頑張れば作れるとも言い難い。私の母親は別に毒親では無かったと思うけど、とにかく忙しすぎて私の人格否定ばかりする人だった。会話をすると絶対に傷つくので、しなかった。その傷つきや寂しさままならなさの結果として、イマジナリーの彼らは存在していると思う。
私は孤独の人達になんにも与えられなくて、とても恵まれていて、恵まれているのに毎日死にたくて、ドアノブを見るたびに、ここで首に縄をかけて睡眠薬を飲めば…と思う。本当になんの役にも立たない最悪の人間だと思う。
でも、こんなに頭バグっちゃって、るみさんにも「生まれてきて可哀想」ってたくさんたくさん泣かれているのに、私って本当に恵まれているのかな?

狂ってしまった弱者向けインフルエンサーたちをぼんやり見ていて、これにお金を払う人達はスピリチュアルに傾倒する女たちと同じだなって思った。彼らはただ弱者から金を巻き上げてるだけなのに、当の弱者たちは自分は真実を知った崇高の存在のように勘違いして、どんどん他責思考に陥ってしまう。
悲しく思うと同時に、「私もスピリチュアルに傾倒したかったな」って思った。騙されたもの勝ちみたいなもので、自分を正しいと信じていられるのなら、その方が楽しいでしょう。何もできない、何も持たない、しにたい、しにたい…と毎日泣いている私より、彼ら彼女らのほうが、日々をよっぽど前向きに生きている気がする。教祖のことはムカつくし、他責思想広げんなって思うけどさ。

私って敗者なんだなと思った。弱者ではないよ。敗者なんだ。