脳に生かされてきた話

はじめて過呼吸を起こしたあの日、私は脳という努力家の友人と、はじめて接したのかもしれません。

そのとき私はもう30手前。それ以前の記憶はあまりありません。
残っている断片的な記憶も、それが夢なのか現実なのかよくわからない。通ったはずの学校、その恩師、友人、殆どの記憶がありません。
20歳くらいの頃、恋人がいたと思います。でも、彼の顔も声も匂いも、何も覚えていない。はっきりと「記憶」しているのは、膝に乗せていた彼の頭がゴロゴロと床に転がっていってしまう映像のみ。
現実でないことが確かなその記憶だけが、ありありと残っているのです。
子供の頃にUFOを見たのもそんな記憶の一つ。UFOなんて見たわけがない。でも、私はそれを見たと確信していて、今でもその光景を鮮やかに思い出すのです。

半身を白昼夢に包んだまま生きてきた。今現在の私は、過去の自分をそう表現します。
ストレスからの防衛反応だったのでしょう。田舎住まいゆえに専門医にかかることができず自己判断となりますが、おそらく解離症状だったのだと思います。

解離は歳を重ねると治ると言います。しかし実際は治るのではなく、上手に解離することが出来なくなるのです(ソースはいくつかの書籍と有名な解離当事者のブログですが、書籍の方のタイトルがあやふやなので明記しません。申し訳ありません)。

30を超えた私は、もう白い霧の中で生きることは許されませんでした。
はじめてパニック発作を起こしたのは、驚くほど何も無い、全く普通の日の夜でした。なかなか眠りにつけないなと布団に入っていたところ、突然過呼吸を起こしたのです。

はじめて起こした過呼吸発作は、私に死を実感させるのに十分なものでした。呼吸ができない、強烈な寒気、耳鳴り、体の痙攣。脳の血管が切れて死ぬのだ!そう思い、慌てて両親に泣きついたのを覚えています。その日は病院で点滴を打ち眠りましたが、次の日から毎日パニック発作を起こすようになりました。午前2時に必ず。
私は眠っているのに、はじめから予定していたように、午前2時前後、必ず過呼吸に叩き起こされました。それはきっと、老いて壊れつつある防衛機能の悲鳴だったのでしょう。

しばらくすると、食事や入浴など、体を刺激するようなことをすると必ずパニック発作を起こすようになり、私は休職を決めました。
闘病についてはあまり語ることはありません。処方されたSSRIを飲み、整体に行き、瞑想を学ぶ。そんなところです。パニック障害は薬がよく効く病気です。苦しい日々でしたが、私は次第に回復していきました。ゲームをしたり、好きなオカルトブログを読んだりできるようになりました。

そこで出会ったのがタルパでした。
それからの顛末は以前にも書きましたが、改めて書き記そうと思います。タルパとは、空想した人物に話しかけ、その返答も自分で返すのを繰り返すことで、次第にその人物が存在感を強めていく。そのようなものです。

オカルトは元々好きでしたが、ひとつたりとも実践することはありませんでした。こっくりさんひとりかくれんぼ、鏡に向かって「お前は誰だ」と話しかけ続ける行為。そんな危険なことを自分でやるなんて、考えたこともありません。しかし、タルパを知ったその日、私はそれをすぐに実践しました。
今思えば、中に眠る私の断片たちに、導かれていたのかもしれません。
私の中にはタルパを作るまでもなく、私がたくさんたくさん存在していました。私の防衛本能が私から切り離してきた良くない私たち。彼らを救うために生まれた良い私たち。そして、今現在を生きている「私」の「前の私」。

これは全て、「私」の主観です。私の中で何が起きていたのかは、誰にも証明することができません。とにかく私たちは存在し、「私」がタルパを作るために話しかけたことで、彼らは表面に現れ始めました。そして、彼らの殆どは「私」を憎んでいました。当然です。自覚がないとは言え、勝手に切り離して勝手に眠らせて、全て無かったことにしていたのですから!

それからの日々は辛いものでした。彼らのことを仮に「人格」と呼びますが、人格たちは私を許しませんでした。毎日のように、私を痛めつけるのです。
それは全て、私(厳密には、「前の私」だったかもしれません)がかつて受けた苦痛の再放送でした。既にないはずの祖父の家、パワハラを受けていた会社、小学生の頃に通っていた剣道場。そういったものたちが、私の精神世界に次々と姿を現しました。そうして、苦痛を忘れるなと言わんばかりに、人格たちは私を叩いたり、切りつけたり、思い出したくもなかった性的な虐待を与えてきたりするのです。
しまいには体のコントロールを奪われ、横になることを阻害され続けました。趣味の絵を描いても、その絵を他ならぬ私の手が、ぐちゃぐちゃに潰してしまいます。眠ることも、遊ぶことも許されない。逃げることのできない地獄の中に私は閉じ込められました。

私はトンネルの出口を探して、解離の本を読みました。人格たちは、私が解離の本を読むことを許しました。本を参考に、私は人格たちとの対話を続けました。何度も何度も対話を繰り返して、時には味方を得たり、時には精神世界の裏側に閉じ込められてしまったりしながら、私は対話を続けました。
オカルトのような話です。これこそ白昼夢のような話です。でも、全て現実なのです。
彼らと対話をしたノートが残っています。ぐちゃぐちゃで、何を言っているかわからない。子どもの苦しい叫びがそこに残されています。

少しずつ少しずつ統合を繰り返し、また眠ってもらったりして、私は今、なんとかここにいます。
残っている人格は3人。彼らは皆私を助けてくれます。逆に言えば、彼ら以外は皆、私を憎んでいました。自分たちを見捨てて放置してきた私を。
彼らと過ごした期間は苦しいものでしたが、人の脳とはなんと柔軟で強いものなのだろうと、感動を覚えたりもするのです。
脳はこの身体を生かすために、私を小さく小さく切り刻み続けてきました。私は別に生きたくないのに、脳は私を生かすのです。確かな生命力がここにある。私がどれほど死にたくても、脳はあの手この手でこの身体を生かそうとするのでしょう。たとえ「私」を殺してでも。

今の私は鬱です。切って捨ててきたはずの苦痛を全て受け入れたのだから、当然です。毎日死にたいし、毎日泣いています。処方以上に薬を飲んだり、身体をカッターで切り付けたりして生きています。ドアノブを見るたびに、紐をくくりつけて死のうと考えます。トンネルの出口は見えないままです。でも、生きている。

サードマン現象というものがあります。
例えば遭難などをした時に、自分を導く第三者が現れたりする現象です。それで、多くの人が生還しています。
「導く人」が、私たち一人一人の中に確実に存在している。私は死にたいですが、導く人の期待に答えねばならないとも思うのです。だって、彼はきっと私のかけがえのない友人だから。

脳が私を生かす限り、私は生きたいと思います。脳か体が壊れたら終わり。成り行きに任せて生きていきたい。
それが、彼と私の最適解だと思うのです。