2022年、とにかく死にたかった

2022年、思い返せば、とにかく安楽死のツイートをしていた。

今年の初め頃、私はただでさえうまくいかない仕事で上司と折り合いが付かず、成果が出ない、遅刻が多いと問題にされ、問題社員そのもので、もう本当にダメだった。朝から晩まで泣いていた。テレワークだから泣いていてもよかった。それが本当に「よかった」のかはわからないけれど。
その後異動になり、上司も代わり、仕事への不満は何も無くなった。それだと言うのに、私は以前よりずっとずっと死にたくなった。

私の脳みそは苦痛を自分から切り離す傾向がある。そうして、少し心に余裕ができた時、その余裕に過去の苦痛が入り込んでしまうのだ。30年間眠らせていたストレスが、なんの悩みも無い時期に、ふいにパニック障害として現れた時のように。
今もきっと、その状態なのだ。毎日のように、自分は死ぬべきだと思う。ドアノブを見ては首を吊って死んでしまうことを妄想して、どれほど苦しいか、失敗したらどうなるかと、妄想を振り払う毎日だ。

安楽死を認めないこの国への恨みばかりが深まっていく。安楽死、それもメンヘラの安楽死をそう簡単に認められないことくらい、少し考えればわかるはずなのに。

薬の処方量も増えた。以前は頓服は本当に頓服だったのに、今や毎日定時に飲まないと、不安に押し潰されてしまう。私はもう薬を飲み続けるしかない。きっとこれから加齢と共に、人生への絶望はずっとずっと深まっていく。
「生きていればいいことがある」わけがないのだ。私は既に、時折発生する小さな小さな「いいこと」を、味がなくなるまで噛み締めて人生を誤魔化すことしかできていない。
「いいこと」はきっと、これから一つも起こらなくなる。昔話を繰り返すこと以外何も出来なくなった時、私は他人を傷つけずにいられるのだろうか?そうなる前に死ななければならないと、日を追うごとに焦燥感が募っていく。

死ななければ、死ななければ、一刻も早く!

そうして、死ぬことすら出来ない自分の弱さに毎夜泣いている。醜いったらありゃしない。


今年の私は最悪だった。来年はもっと最悪になる。いつかきちんと死ねるのだろうか?きちんと死ねたら、その時は「えらかったね」と思ってほしい。でも、「逃げやがったな」と思ってもいい。どう思われても、そのとき私はもういない。臆病なので、きっと来年も死なないと思うけど。
生きたかった人の明日を、ぐずぐずと生きている。最低だなと思う。思うだけだ。何も出来ない。

最悪だったけれど、今年はいい絵を描けた。他人から見てどうあれ、今年の私は自分の人生を絵に残せたと思う。
20年以上ぼんやりと絵を描いてきた。描くべきものを描けたと思える瞬間というのは、片手で数えられる程しかない。その一瞬が今年は存在したわけなので、それを理由に「いい一年だった」と言っていい気はしてくる。そうだな。そうかもしれない。

2022年、いい一年だった。2023年もいい一年になりますように。