死の話(パニック障害の話)

死ぬのが怖い。
なぜ怖いのかというと、死ぬ前にきっとひどく苦しむだろうから、それが怖い。

私はパニック障害を持っている。今はほぼほぼ寛解したと言えるが(薬はまだ飲み続けている)一時期は過呼吸発作が続いて本当に何も出来なかった。
食事をすれば発作、風呂に入れば発作、少し動けば発作。横たわったままでなんとかバナナを口に押し込むだけの毎日で、10キロ痩せた(なお、リバウンドして15キロ太った)。ようやく寝ついても、深夜2時に必ず過呼吸で目が覚める。平常心を学ぶためにスピリチュアルに手をつけた。呼吸法は役に立ったが、発作が収まることはなかった。

パニック発作の辛いところは、本人にとって発作のたびに襲いくる死の恐怖が現実であるということで、当時の私は毎日何度も死の恐怖を味わっていた。それは、パニック発作では決して死なないことをどれだけ頭で理解していようが、関係のないことだった。呼吸ができず、体が痙攣し、全身が冷え、痺れ、強烈な耳鳴りで何もわからなくなる。ああ、死ぬのだと「確信」する。私は何百回と死んで、生き返ってきた。生き返りたいわけがないのに。

高所から飛び降りることを何度も考えた。でも、運悪く生き残ってしまったらと思うと、何も出来なかった。このまま「嘘の死」を繰り返し続ける方が、運悪く生き残るよりはマシだと思った。そうして私は今も生きている。

最近、突然気を失って倒れたことがあった。気がついたら床に倒れていて、ウンコを漏らしていた。倒れたことに気付かなかったし、なんの痛みもなかった。暫くしたら、しこたま打ちつけた肋骨が痛み始めたけれど。あの時目が覚めずに死ねていたらどれだけ幸せだったろうと思う。それは叶わなかった。

でも、あの体験は「苦しまずに死ぬ可能性」を私に与えてくれた。少しばかりは楽観的に生きてみようと、気を失い倒れたことでようやく思えた。
相変わらず死ぬのは怖いし、とにかく早く死にたいし、何の才能もなく空っぽで、生きていても何にもならないけれど、もしかしたら苦しまずに死ねると思うだけで、私の未来は何倍にも明るくなった。よかったなあ。おめでとう。

いつかきっとゴミ屋敷の中で一人死んでいくのだろう未来の私が、どうかどうかあまり苦しみませんように。それだけを願って生きている。


※ちなみに、倒れたのは湯にのぼせただけです。あれっきりだから放置してるけど、繰り返すようならきちんと病院に行きます。